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カーネーションはなぜ母の日の象徴となったのか

カーネーションの歴史 ー神聖な花から母の日の象徴へー

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カーネーションは、学名を「ダイアンサス・カリオフィルス」といい、

その名前はギリシャ語で「神の花」または「神聖な花」を意味します。

数千年にわたる豊かで魅力的な歴史を持つ花です。



古代の起源(古代ローマ帝国時代)


カーネーションは、地中海地方が原産と

考えられています。

古代ギリシャやローマ時代には

すでに広く栽培されており、

その美しさと香りのために

利用されていました。

当時のカーネーションは、

おそらく薄いピンクがかった紫色だったと考えられています。

古代ローマでは、ユピテル神と関連付けられ、

花輪や儀式的な装飾に使われていました。


中世からルネサンス期(中世〜17世紀)


カーネーションはヨーロッパ中に広がり、修道院や庭園で人気を博しました。

キリスト教が広まった中世には、

ピンクのカーネーションが聖母マリアが

イエス・キリストのために流した涙から生まれたと信じられ、

母の永遠の愛の象徴となりました。

この関連性は特にピンクの品種で強く根付いています。

ルネサンス期の絵画にも登場し始め、しばしば象徴的な意味を持って描かれました。


18世紀から19世紀(ヴィクトリア時代以降)


園芸技術の進歩に伴い、18世紀から19世紀にかけては集中的な品種改良が行われ、

より幅広い色や花の形を持つカーネーションが登場しました。

今日私たちがよく目にするような、

大きくて華やかな品種がこの頃から現れ始めます。

ヴィクトリア時代には、感情を率直に表現することが控えられたため、

花がメッセージを伝える人気の手段となりました(フロリオグラフィー、花言葉)。

カーネーションのそれぞれの色は、特定の意味を持つようになりました。


  • : 愛、賞賛、情熱

  • ピンク: 母の不朽の愛、追憶

  • : 純粋、幸運

  • : 失望、拒絶(ただし、これは時代とともに変化しています)

  • : 気まぐれ、予測不能

  • 縞模様: 拒絶、「ノー」


カーネーションは、コサージュ、ブーケ、庭のディスプレイなど、

世界中で欠かせない存在となりました。


20世紀から現代


20世紀初頭、特にアメリカでは、アンナ・ジャービスが白いカーネーション

母の日の公式の花として選びました。

これは母の愛の純粋さを象徴するためです。

その後、ピンクのカーネーションも広く母の日と関連付けられるようになりました。

栽培技術と輸送の進歩により、カーネーションは世界で最も広く栽培され、

商業的に重要な切り花の一つとなりました。

現在も、より長持ちする品種や、斬新な色(染められたものを含む)、

興味深い形を持つ新しい品種が開発され続けています。

手頃な価格で、日持ちが良く、色の種類が豊富なため、現在でも人気のある選択肢です。

このように、カーネーションは地中海地方のシンプルな野の花から、

愛、賞賛、追憶の世界的なシンボルへと進化し、

人間の文化や歴史と深く結びついています。


日本に初めて輸入されたのはいつ?


江戸時代

カーネーションは、オランダの船によって日本にもたらされたとされ、江戸時代初期には日本で認知されるようになりました。

当時は「オランダナデシコ」や「オランダセキチク」とも呼ばれていました。

その後、1902年(明治35年)に、新宿御苑(当時は宮中の御陵農場)で

初めて栽培が試みられました。

母の日

日本で母の日の習慣が広まるにつれて、カーネーションは母の日の花として定着しました。母の日の起源はアメリカですが、日本に伝わったのは大正時代とされています。

つまり、カーネーションは江戸時代に一度日本に渡来しましたが、本格的に栽培されるようになったのは明治時代以降で、母の日の花として広く知られるようになったのは大正時代以降ということです。

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