なぜチューリップバブルは発生したのか
- Kazushige Maeda
- 7月16日
- 読了時間: 3分
「チューリップバブル」とは?

17世紀のオランダ(当時ネーデルラント連邦共和国)で発生した、
世界初の本格的な投機バブルとして知られる現象のことをいいます。
当時、オスマン帝国からもたらされたばかりのチューリップの球根の価格が異常に高騰し、最終的には突然暴落した一連の出来事ですが、これがなぜ発生したのでしょうか。
チューリップは高騰したものの、その証拠は不確実
史上初の投機バブルについて、広く知られるようになったのは、スコットランドのジャーナリスト、チャールズ・マッケイによって著された本がきっかけとなりましたが、
当時の正確な数値が緻密に記録されているわけではなかったようで、バブルと呼べるほどの高騰は発生していなかったのではないかという主張も存在しています。
チューリップバブルが実際に発生したものとして考える時、なぜ花がこれほどまでに高騰したのかを追っていきましょう。
チューリップバブルの歴史と経緯
チューリップの伝来と人気
16世紀後半にトルコ(オスマン帝国)からヨーロッパにチューリップが伝わると、その鮮やかで多様な色や模様が珍重され、特に富裕層の間で人気を博しました。
ウイルスによって花弁にまだら模様が入る「まだら模様」の品種(ブレイクチューリップ)は希少性が高く、ステータスシンボルとして扱われました。
このブレイクチューリップ、当時不思議だったのは、ある年に咲いた花が単色だったにもかかわらず、翌年まだら模様が突然現れるなど、当時解明できなかった変化が起こることも魅力の一つです。
また、鮮やかなカラーバリエーションや突如発生するマダラ模様が異国情緒の雰囲気をまとっていたことも人気が爆発した要因です。
目を引く鮮やかな花を庭園に植えて多くの人に見てもらえるようにすることは、
自らの権威性を強めることにもつながりました。
見栄を張りたいのはいつの時代も変わらないのかもしれません。
投機の過熱
17世紀に入ると、チューリップの球根は単なる観賞用植物ではなく、転売によって利益を得るための投機対象となっていきます。特に1630年代半ばにその熱狂は頂点に達しました。
人々は「球根はもっと値上がりする」という期待から、次々に購入しました。
実物がない状態での「先物取引」が盛んに行われ、球根の生産量や供給量といった実態をはるかに超える価格で取引されるようになりました。
「みんなが買っているから自分も買わなきゃ損だ」というバンドワゴン効果や、「一儲けしたい」という投機心理が、市場を加熱させました。
異常な価格高騰
最盛期には、珍しい品種のチューリップの球根1個が、熟練した職人の年収の数年分、あるいは家一軒が買えるほどの値段にまで高騰しました。これは、現代の貨幣価値に換算すると数億円にも相当すると言われています。
ただし最初に記述したように、この値段高騰が真実であるかどうかは不明です。
バブルの崩壊
1637年2月、突如としてチューリップ市場から買い手がいなくなります。
一部の投資家が利益確定のために売りに出たことがきっかけとも言われています。
高騰した価格に疑念を抱く者が現れ始めると、それまで続いていた「もっと上がる」という期待が失われ、一斉に売りが加速しました。
結果として、チューリップの球根の価格は大暴落し、多くの投資家が高値で球根を買ってしまったために巨額の負債を抱え、破産に追い込まれました。
実に不思議なことですが、人の集団は何かしらのきっかけで止められない波や渦のような現象を発生させることがあります。
後になって、なんであんなことが起きたんだろう?なんであんなことをしたのだろう?と考えてしまいます。
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